2024年開催のパリ五輪も無事、終わりました。個人的にバスケットボールが好きでしたので、それをまずは期待して見てました。NBA在籍の選手も日本代表として参加するという事はニュースで聞いていましたし、今、まさにアメリカで活躍してる現役選手が日本代表として五輪に参加するという事が同じ日本人として誇らしくもありました。結果は勝ち負けでいうなら残念ながら期待していた結果では無く終わりましたが、個々のプレーやチーム全体の連携されたチームプレーは、まさに見ごたえのある素晴らしい内容だったように思います。参加する事に意義があるという向きもありますが、正直、やはり出場するからには勝ちを期待してしまう気持ちはそれは勿論ありました。ですが勝負は水物、時の運です。勝てば嬉しく、負ければとても悔しい物です。それは観劇する者だけの想いではなく、プレーする全てのアスリートが持つ気持ちだと思います。負けて悔しいのは他の誰より出場された選手が一番、悔しい事と思います。テレビでは滅多に見れないNBAの選手のプレーを見れただけでも自分にとっては大きな事でした。ボールを直接、ゴールに叩き入れるダンクシュートを見た時は、正直、胸が躍りました。NBAの選手でなくとも、170cm台の小柄な選手ですが、チームの要(かなめ)であるポイントガードとして、俊敏なパス回しを行い他の選手がシュートする様子は、バスケットボールの面白さを改めて感じました。ミドルレンジの距離から、シュートを決めるのがかなり難しいスリーポイントシュートを何本も決める選手もいました。投げたボールが大きく弧を描いてゴールに入る様子は、まるで目を疑うような美麗な光景を見ているかのようでした。また、五輪開催中、審判が下すジャッジに置いて賛否に分かれる微妙な内容の物もありました。あからさまな審判の誤審なのではないかとニュース等でも問題になりました。私、個人のあくまで私見ですが、審判が一度、下した判定は、決して覆る事の無い絶対の物と思っています。それは何もバスケット以外のスポーツでも言える事と思います。チーム同士での試合、ゲームをするにあたっては何より必要な存在は、どちらのチームにも属さない審判という存在です。ゲームをジャッジする審判がいなければ、ゲーム自体が成り立ちません。例え場合によってはセーフに見える物がアウトの判定になったとしても、それに異を唱える事はゲーム自体を否定する事のように自分には思えます。試合をするとしたなら、審判の判定は絶対な物。それだけは確かな事だと、個人的にはそう思っています。勿論、近年、『チャレンジ』と銘打った、一度、下された判定の審議をカメラ等で再確認し再判定するというルールも出来、それにより審判の判定が覆るというケースもあります。人の五感は完璧な物では無い事もまた理解できますから、そういった新しいシステムの導入は良い事だと思います。いずれにせよ、勝負事はどちらかが必ず勝ち、どちらかが必ず負けるものです。タイムアップからの引き分けというケースも勿論ありますが、基本、勝負事は明暗が明確に分かれる結果になる事が大原則だと思っています。だからこそ人は試合に涙し、また笑顔にもなれる。それはまさに一つの『ドラマ』のようにも思えます。歴代最高の布陣と言われた今回の全日本チームであっても、絶対に勝てる訳では無かった。それでも試合を見ていた人の多くが感動したのは本当の事だと思います。2024年、パリ五輪。バスケットだけではなく、フェンシングや、スケートボード、BMXなど、注目の外だった種目のスポーツでも若いアスリートの方々の活躍が目立った今回の大会だったと思います。若い方を中心に時代は常に動いてる事に改めて感銘を受けました。戦乱、災害といった混沌とした世界情勢の中に置いて、4年に一度、開催される五輪の中では無限に近い可能性と光に満ちた未来がそこにはあったように思います。過去から現在、そして未来に向けてスポーツの世界には躍進と進化が続いているようにも感じました。勝っても負けても、スポーツは見る者に何かしらの力を、また勇気を与える物なのかもしれません。最後に、五輪に参加された全てのアスリートの方々に心よりの感謝と大きな拍手を送りたいと思う者です。勝負は勝ちを目指す事が何より本意の事と先ほどお伝えしました。ですが、参加する事にまず意味が、意義がある物。それが私の真実、本心です。それを多くのアスリートの方々から教えて頂きました。そんな2024年の夏。生涯、忘れ得ぬ夏のひと時だったように思います。