Yipsという症状があります。主にスポーツの世界で流布されている専門用語です。例えば野球のピッチャーが故意でなく打者にデッドボールを与えてしまった事から、打者に近いインコースに向けての投球が出来なくなってしまう。ひいては投げる事自体が出来なくなってしまう。また同じ失敗をするのではないかという恐怖心それ故に。
PTSD。心的外傷、それに近い症状の事のようです。投げるとまた相手に当ててしまうのではないか。ただの打撲以上の、怪我以上の状態にさせてしまうのではないかという猜疑心、恐怖心、その忌避感。それ故の無意識からの逃避。
それは何もスポーツの世界に限らず他の業界でも『Yips』、イップスという症状は稀ではなくあると聞きます。
最近、放送されたドラマでも同じ名称の作品がありました。その役の仕事はスポーツではなく小説家でしたが。それまで普通に出来た事が、ある事がきっかけから出来なくなる。仕事の業務の失敗からその仕事自体が出来なくなるケースもあれば、どこにでもいる主婦が日々の料理で、ある時、調味料の間違いをし、それがきっかけで料理自体ができなくなる。そんな事も或いはあるのかもしれません。
古い漫画ですが、ボクシングを題材とした『あしたのジョー』という有名な作品があります。主人公が因縁のライバルと試合をし死力を尽くして戦います。その試合中、対戦相手のこめかみにパンチを打ち相手をダウンさせます。試合は負けますが対戦相手は試合後、倒れ、その結果、死に至る事になります。死因は受けたパンチだけではなく、ダウンした際にロープに後頭部を打った事からの事でした。試合中の事ですし、勿論、反則でもありません。純然たるそれは事故でした。でも、そのパンチを打った主人公はそれ以後、相手のこめかみ、テンプルと呼ばれる頭部の部分に向けてパンチを打つ事が出来なくなります。まさにそれこそイップスだと思います。幼少の頃、その漫画を読んだ時には、ただ茫然と読んでいただけなのですが。その漫画の主人公はその後、試行錯誤しながらも立ち直るのですが。ですが誰しもが『完治』するという訳ではないと思います。今回、イップスについて書こうと思ったのは、先にお伝えしましたドラマを観てその言葉を久しぶりに聞き、思う所があったからという事と、精神的な内面の傷を受けた時、その状態から復帰する事の難しさを改めて感じ入ったからです。スポーツ選手に限らず誰しもがなんらかの分野に置いて普通に『そうなるかもしれない事』であり、決して特別な現象、病気ではないと思います。日常、いつ起こるか分からない事と思っています。ドラマや漫画などではイップスに陥って、紆余曲折あり最後は完治します。エンターテインメントとして成立させるそのために。ですが、現実はリアルのそれです。発端があり、起承転結の末、最期は完治する物では、そんな安易な物では決して無いとも思います。スポーツの世界でもフィギュアスケート、水泳、そして野球の世界の中で、選手生命にかかわる状態にまでいき、それでも長期に渡るリハビリや治療の末、現場へと復帰された例を聞く度、驚きと共に感嘆の想いから拍手したい気持ちにかられる事も、稀にあります。プロスポーツは怪我をする事を、いえ、かなりの確率でするかもしれないというその前提の条件の元で、彼、彼女がそれぞれのステージで全力で戦う物だと思っています。昨年、大活躍したメジャーリーグの大谷選手も移籍後は投手としてはマウンドに立てない状態になりながら、打者として昨年以上の活躍をされました。これまで誰も無しえなかった素晴らしい記録を打ち立てるまでに活躍されました。投手との二刀流ではなく、DH兼、打者として。もう引退されましたが、フィギュアスケートの羽生結弦選手も幾たびかの怪我をしながらも、それでも最後まで第一線で世界に名だたる活躍をされました。また、女子水泳の池江選手は白血病という大変な病から見事、五輪で活躍するまでになりました。他にもプロフェッショナルと呼ばれる何人かの方々は、最悪の状況から自身を叱咤し体力のみならず精神力を限界まで引き上げ己を向上させ『Yips』、或いはそれに近い状態から脱しました。諦めないという事の継続から。誰しもが出来得る事では無いとは思います。ですがそれは人の生の中で誰しもが課される事なのかもしれません。様々な事があるのが人が生きていくという事なのだと思います。医療分野の助けもあるとは思いますが、家族や親近者の支えもあるのだとは思いますが、最後は諦めのすこぶる悪い者が、逆境を打ち破るのかもしれません。ピンチはチャンスという言葉を聞いた事があります。逆境こそが自身の向上のチャンス、そのきっかけなのかもしれません。