はじめまして。このブログを何かしら思った事、気付いた事をつらつらと書いていこうと思います。
なんの変哲もない、特に際立った能力もない凡庸な壮年男子です。好きな物は野球とバスケットボール、映画など。
好きな食べ物はお蕎麦にうどん、パスタ、きしめん、そうめん、麺類の類です。

新型コロナウイルス。その名称を聞いてからもうすぐ三年になります。地球上の誰しもが想像さえしなかったパンデミック。
数多の情報が錯綜し、皆、それに振り回され日常の生活形態が一変しました。マスクをしなければいけない状況が今ではもう普通になり、そのマスクも私的なアイテムとして様々な種類が世に出ていて、今では若者の間ではファッションとして半ば定着しています。ですがマスクを着用するのは、やはりしんどい事です。呼吸をするための口に風邪でもないのにマスクを常時しなければいけないのは違和感があって当然です。ですがそれをしなければ老若男女、問わず、まかり間違えば死に繋がるかもしれぬそんな世界になっている現状です。三年の月日が経った今も、残念な事ですが当初の頃から状況が急激に緩和し、目に見えない微細なウイルスがこの世から全て無くなった訳でもありません。収まる傾向に見えてもまた形勢は逆転する。
そんな事がこの数年の中で何度、起こったか分かりません。医療は切実にひっぱくし設備もスタッフも限界をとうに超えた状況は未だ終わってはいないと思います。この先の未来がどうなるかも、それも誰にもわからない現状だと思います。
血中酸素濃度。ここ数年で耳にした言葉です。血液の中の酸素の濃度の度合いの事です。その濃度を測る計測機器、通称、パルスオキシメーター。ドラッグストアやホームセンターなどで比較的、安価で売ってる物を身に置く事が普通の事になっています。
コロナが体内に派生しそれが陽性反応となれば、人によっては体内の酸素が取り入れらない状態になり酸素マスクが必要な状態になります。体力の無い高齢者や幼少の方が最悪、死に至る事もあります。その数ももう分からない程、膨大な数字だと思います。
それでも人は生きていかなきゃいけない。少なくとも自分は自死を選ぶ事のない限りは切実に生きたいと思っています。
呼吸をする事から酸素を血管を通じて体内に循環させる事。コロナ前では人が当たり前にしていた事です。自分も稀に呼吸が出来ずパニックになる事があります。まさか?ひょっとして?そんな風に焦る気持ちになった事も数え切れない程ありました。
ですが幸いな事に、今、自分は現在も生きています。少ないですが友人もいて、毎日、通勤する会社にも恵まれています。
誰に言う訳でもありませんが、それはとても僥倖な事だと思います。

話は変わりますが、緑は酸素を生みだす物です。そしてその緑は、例えその物に意思がなくても人と同じく生ある存在だと思います。植物を街で見るたび、気持ちが少しほっとする事があります。
地球に酸素を齎す身近な存在。人が必要とする酸素を生み出してくれる存在。衣食住もそれは同じくと思います。
ですが切迫した今の世の中にあって、酸素の存在がどれほどありがたい事か再認識させられました。呼吸が普通に出来る事を切実に感謝する事があります。水と緑と陽の光の恩恵。体内に酸素をとるための呼吸が出来る事が実は当たり前の事ではなく、それが出来ない状況になって初めてその大きさとそして生きてる事の、それは大げさな物言いですが、ある意味『奇跡』に近い事なのかもしれません。
大きく深呼吸ができる事。それは、今、現在、コロナの時代にあって初めて気づいた『普通』の『日常』です。今も外出時には私は必ずマスクを着用します。その波に多少の差があってもまだこの時代は暫くは続いていくと私は思っています。だからこそ、今、日常の中で呼吸が出来る事に安堵してる自分がいます。このブログのタイトルにした『緑の日々』は私が好きなアーティストの楽曲名を借りさせて頂きました。出来る事なら都会のコンクリートに囲まれた場所よりも、少しでも緑の多い場所で過ごしたいとも思います。
そして今、世界中が覆われてるこの未曾有のパンデミックが早く終わって欲しい。マスクをつけなくてもいい世界に戻って欲しい。
おそらく誰しもが思うその想いが今、自分が希望する第一の事です。当たり前だと思っていた日常が、ある時、突然、反転する。
まるで作られた物語の世界のように。この三年の間の月日の中で私が知った事は、普遍的な継続は、おそらく多分、無い事も世の中にはあるという現実です。昨日から今日、そして今日から明日。更にはその先に続く未来に向けて、どうにか生きて行ける事を一庶民である自分は密かに願っています。街を歩いていて、ふと緑を見ては少しだけ安心してる自分がいます。人が住むこの星の中で、緑と青い空がある風景があります。人が生きるための美しさがそこにあるように私には思えます。

緑に関する記事を見つけました。もしよろしければ。
『Vida verde 緑のある生活』