令和七年、元旦。新たな年が始まりました。思えば昨年の元旦は、新たな年の初日から北陸で大きな震災が起こり、翌二日は空港管制側と航空機側との間の連携の不備からこれまで見た事のないようなジャンボジェット機の外観が完全に崩れさるような凄惨な事故が起こりました。国政に置いては総理が交代しその8日後には内閣解散という波乱に飛んだ年だったように思います。またアメリカでは米大統領の交代劇もあり、この先の国交がこれまでとは異なる日本国側に不利益を伴うそのような展開が予想される出来事にもなりました。ロシア、ウクライナ間の戦火の状況も変わる事なく、中東情勢も危ういまま年を越えそのどちらも大きな被害を齎している状況です。未来に置いて誰もが予想できない出来事が起こり得る昨今。近年、不安感がより増した世情のようにも思います。明けて新年、果たして今年は如何なる年になるのかはそれは誰にも分からない事だと思います。
ですが誰にも分らぬ未来の展開とは、吉凶、逆に言うなら平和的な観点に置いて人の理想に限りなく近い状況に人が作れるその可能性という名の余白がある事のようにも思います。まだ何色にも染まっていない真白なキャンバス。そこに数色の色彩を置き何かしらの絵を描くのは勿論それは人です。一個人に内在する未知の力から、まだ見ぬ結果を、創作物を作り上げるその最初のスタートライン。会社や学業、広くは国政、またこの先、地球に来るかもしれない大きな災害を未然に防ぐ力に繋がる目には見えない人の力。どのような場所でも危うい状況を改善するのは、他の何某かでもなくそれはまさしく人にしか出来ない事だと思います。国内も世界的な情勢に置いても厳しさが増すであろう昨今、それを是正し改善できるのは見た事も無い神でもなく、受け手側の人の力から、人の判断からしか出来得ない物だと思います。或いは今年はそれが試される年なのかもしれません。日本国内に現在、どれだけの人がいるかは明確には分かりません。世界的なそれも然りです。ですがそれは那由他のそれよりも遥かに少ない物です。数多の人々が連なり、その持てる力を寄せる事から改革の指針を見つける事は、少なくともそれは可能性、零とは決して言えない事だと思います。いえ、それを信じたい想いは世界の中のほんの微小な存在である自分の中にも大きくあります。AIでも予想不可能な未来。人が分からぬ物を人の派生形でありその模倣された具現化された物にもそれは提示できぬ事と思います。少なくとも今の技術に置いてはですが。そのAIの進化も人の進化なくしては成し得ない物だと個人的に思っています。時代の進化に繋がるその起点の本日、今日の日、新しい年が始まった一月一日。本年が多くの人々が日々、笑顔でいられるであろう事をまずは元旦に思う者です。 A Happy New Year 2025.